法律コラム

労働法における自由意思(2)

 

2018年8月1日(水)

労働法における自由意思(2)

弁護士法人琉球法律事務所
弁護士 竹 下 勇 夫

 

 この問題を論じた最も新しい判例を紹介しましょう。山梨県民信組事件と呼ばれる平成28年2月19日の最高裁判所第二小法廷判決です。以下のような事案に係る判決です。すなわち、B信用組合がA信用組合を吸収合併するにあたり、Aの職員の労働条件、とくに本件では退職金規程が問題になっていますが、これを変更するに際して、Aの職員(問題になっているのは管理職)から同意書を徴求しているのですが、このことによってAの職員が退職金の支給に関してその変更に同意したものと認められるかどうか(労働協約についても問題となっていますが、その点は省略します。)というのが争点です。具体的には、合併に際し、Aの職員に係る退職金については旧規程の一部を変更した新規程を適用することとし、その変更内容は、

 ①退職金額の計算の基礎となる給与額につき、旧規程では退職時の本俸の月額とされていたのを、2分の1に減じた額とすること

 ②基礎給与額に乗じられる支給倍数の上限を旧規程では定めがなかったものを55.5とすることとし、かつ、旧規程で採用されていた「内枠方式」と呼ばれる、厚生年金給付額を退職金総額から控除するという制度を維持するとともに、企業年金還付額も控除するものとされました。そして、Aの職員は役員らから以下の同意書に署名しなければ合併を実現できないと告げられて同意書に署名押印を求められたため、職員らはこれに応じて署名押印しました。その同意書というのは次のようなものです。

 ①Aの職員が合併後に退職するときに適用される退職給与基準は、従前のAの退職給与規程の内容とする。但し、退職金計算の基礎額について「退職時の本俸の月額」とあるのは「退職時の本俸額を2分の1に減じた月額」と変更するものとする。

 ②Aの職員に支給される退職金については、全国信用組合厚生年金基金から支給される金額を、退職金総額から控除して支給するものとする。

 実際、その後Aの職員に対する退職金の支給基準は新規程に変更されました。
その後Aの職員らは退職しましたが、基準の変更についてAの職員らは上記同意書に署名押印していることによってその変更に同意し、その効力が発生しているものとし、その結果支給される退職金額が0円となりました。これに対して、Aの職員らが上記同意書に署名押印してなした(変更)同意の意思表示は、真意に基づくものではなく(錯誤によるもので)無効であるとして、変更前の基準に基づく退職金の支払いを求めたのが本件裁判です。
 第一審の甲府地裁は、民法の原則に基づいて上記同意の意思表示に瑕疵があるかどうか、特に錯誤に該当するか否かを判断し、結論として当該意思表示に錯誤はなく、瑕疵はないものとして同意の意思表示は有効と判断して、Aの職員らの請求を棄却しました。控訴審の東京高裁もほぼ同様の判断をしました。
これに対して最高裁は次のとおり判断して東京高裁の判決を破棄し、事件を東京高裁に差し戻しました。少し長いですが、判決文を引用します。

「労働契約の内容である労働条件は、労働者と使用者との個別の合意によって変更することができるものであり、このことは、就業規則に定められている労働条件を労働者の不利益に変更する場合であっても、その合意に際して就業規則の変更が必要とされることを除き、異なるものではないと解される(労働契約法8条,9条本文参照)。もっとも、使用者が提示した労働条件の変更が賃金や退職金に関するものである場合には、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為があるとしても、労働者が使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれており、自らの意思決定の基礎となる情報を収集する能力にも限界があることに照らせば、当該行為をもって直ちに労働者の同意があったものとみるのは相当でなく、当該変更に対する労働者の同意の有無についての判断は慎重にされるべきである。そうすると、就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして,当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきものと解するのが相当である。」
「これを本件基準変更に対する管理職上告人らの同意の有無についてみると、本件基準変更は、A信用組合の経営破綻を回避するために行われた本件合併に際し、その職員に係る退職金の支給基準につき、旧規程の支給基準の一部を変更するものであり、管理職上告人らは、本件基準変更への同意が本件合併の実現のために必要である旨の説明を受けて、本件基準変更に同意する旨の記載のある本件同意書に署名押印をしたものである。そして、この署名押印に先立ち開催された職員説明会で各職員に配付された(略)同意書案には、被上告人の従前からの職員に係る支給基準と同一水準の退職金額を保障する旨が記載されていたのである。ところが、本件基準変更後の新規程の支給基準の内容は、退職金総額を従前の2分の1以下とする一方で、内枠方式(厚生年金額を控除して支給する方法)については従前のとおりとして退職金総額から厚生年金給付額を控除し、更に企業年金還付額も控除するというものであって、(略)上告人らの退職時において平成16年合併前の在職期間に係る退職金として支給される退職金額が、その計算に自己都合退職の係数が用いられた結果、いずれも0円となったことに鑑みると、退職金額の計算に自己都合退職の係数が用いられる場合には支給される退職金額が0円となる可能性が高いものであったということができ、また、内枠方式を採用していなかった被上告人の従前からの職員に係る支給基準との関係でも、上記の同意書案の記載と異なり、著しく均衡を欠くものであったということができる。」「本件基準変更による不利益の内容等及び本件同意書への署名押印に至った経緯等を踏まえると、管理職上告人らが本件基準変更への同意をするか否かについて自ら検討し判断するために必要十分な情報を与えられていたというためには、同人らに対し、旧規程の支給基準を変更する必要性等についての情報提供や説明がされるだけでは足りず、自己都合退職の場合には支給される退職金額が0円となる可能性が高くなることや、被上告人の従前からの職員に係る支給基準との関係でも上記の同意書案の記載と異なり著しく均衡を欠く結果となることなど、本件基準変更により管理職上告人らに対する退職金の支給につき生ずる具体的な不利益の内容や程度についても、情報提供や説明がされる必要があったというべきである。」
以上が、最高裁判決の主たる内容です。

                                 (次回へつづく)