法律コラム

認知症の者と同居する配偶者の監督義務

2016年8月24日水曜日

琉球法律事務所 弁護士 竹 下 勇 夫

 

   少し気の重いお話です。しばらく前に新聞等でも大きく取り上げられた事案ですのでご記憶の方も多いと思います。

 事案は、認知症にり患した夫(当時91歳)が、平成19127日、鉄道会社の駅構内の線路に立ち入り、同社の運行する列車に衝突して死亡した事故に関し、鉄道会社が、夫の妻及び長男に対して、本件事故により列車に遅れが生ずるなどして損害を被ったとして、約720万円の損害賠償を請求したものです。

 争点は、夫が認知症にり患していて責任無能力の状態にあり、民法の不法行為の責任を負わない(民法713条)ことを前提に、妻や長男が民法714条の「責任無能力者を監督する法定の義務を負う者」、または「監督義務者に準ずべき者」に該当するといえるか、該当するとした場合に、監督義務者がその義務を怠ったとして鉄道会社に対して損害賠償義務を負わなければならないか、ということでした。

 この点に関し、原審の名古屋高等裁判所は、妻について、「一方の配偶者が精神上の障害により精神保健及び精神障害者福祉に関する法律5条に規定する精神障害者となった場合には、同法上の保護者制度(筆者注、この制度は平成264月に廃止されています。)の趣旨に照らしても、その者と現に同居して生活している他方の配偶者は、夫婦の協力及び扶助の義務(民法752条)の履行が法的に期待できないような特段の事情のない限り、夫婦の同居、協力及び扶助の義務に基づき、精神障害者となった配偶者に対する監督義務を負うのであって、民法7141項所定の法定の監督義務者に該当する」とし、さらに、「妻は、夫が重度の認知症を患い場所等に関する見当識障害がありながら外出願望を有していることを認識していたのに、夫宅の事務所出入口のセンサー付きチャイムの電源を入れておくという容易な措置をとらなかった。このこと等に照らせば、妻が、監督義務者として監督義務を怠らなかったとはいえず、また、その義務を怠らなくても損害が生ずべきであったとはいえない」として、妻の損害賠償責任を認め、他方、長男については、「長男として負っていた扶養義務は経済的な扶養を中心とした扶助の義務であって引取義務を意味するものではない上、実際にも長男は父と別居して生活しており、長男が父の成年後見人に選任されたことはなく父の保護者の地位にもなかったことに照らせば、長男が父の生活全般に対して配慮し、その身上を監護すべき法的な義務を負っていたとは認められない」としてこれを否定しました。

 これに対し、最高裁判所は、平成2831日、妻については法定の監督義務者にもこれに準ずべき者にも該当しない、長男については法定の監督義務者に準ずべき者に該当しないとして両者の損害賠償責任をいずれも否定しました。理由の詳細については、最後に記載しておきますので、興味のある方は確認しておいてください。

 民法7141項の法定監督義務者にいかなる者が該当するかということについて、本件最高裁判決までの議論の状況についてみておきたいと思います。

 成年後見人については、当然に該当するとされていたように思います。問題となっていたのは、平成26年に廃止されるまで精神保健福祉法20条によって保護者の地位に立つ者についてです。改正前の同法20条は、精神障害者については、第1順位として後見人又は保佐人、第2順位として配偶者、第3順位として親権者が保護者となり、これらの者が存しない場合には、扶養義務者の中から家庭裁判所により選任された者が保護者となるとされており、保護者とされた者は、同法22条により精神障害者に治療を受けさせる義務及び精神障害者の財産上の利益を保護する義務を負うとされていたことから、この保護者が民法7141項の監督義務者に該当するか否かが議論されていました。そして平成11年改正前の同法は、保護者の自傷他害防止義務を明定していたこと等から保護者が法定監督義務者であるとした裁判例がありました。ところが同年の同法改正により、保護者の義務から精神障害者の自傷他害防止義務が削除されたことを理由に、同法の保護者が必然的に法定監督義務者に該当するわけではないとする説が有力に主張されるようになりました。

 以上のような状況の中で、本件最高裁判決は、平成26年精神保健福祉法改正で廃止される前の保護者や成年後見人について、直ちに民法7141項の法定監督義務者に該当することはない旨を明言しました。

 また、法定の監督義務者に該当しない者であっても、責任無能力者の監督を現に行いその態様が単なる事実上の監督を超えているなどその監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情が認められる場合には、法定の監督義務者に準ずべき者として、民法7141項が準用されるとしました。

 その上で、本件最高裁判決は、本件の妻は法定監督義務者にもこれに準ずるべき者にも該当せず、長男も法定監督義務者に準ずるべき者に該当しないとし、損害賠償責任を否定したのでした(なお、本件においては、妻も長男も成年後見人には選任されていませんでした。)。

 もっとも本件判決には、木内裁判官の補足意見のほかに、岡部裁判官と大谷裁判官の意見が付されており、特に大谷裁判官は、平成11年民法改正後の「生活、療養看護に関する事務」を職務内容とする成年後見人についても、法的な身上監護義務を行うに当たって、相当な範囲の監督義務が含まれると解することができ、その限度では同法7141項の責任主体として想定し得ると考えられる。」と述べ、法廷意見とは異なる見解を示しています。

その上で、大谷裁判官は、本件においては長男が成年後見人に選任されてしかるべき者として、法定の監督義務者に準ずべき者に当たると認められるとして責任の主体たるべき地位にあることを認めた上で、本件においては、長男は監督義務を怠っていたとは認められないとして責任を否定しています。

 いずれにしても、本件においては、妻や長男の損害賠償責任は否定され、心情的には誠にもっともであると納得のできる判決だと考えます。ただ、成年後見人が法定監督義務者に該当すべき者なのか、また、本来成年後見人についてしかるべき立場にある者が法定監督義務者に準ずべき立場にあるのかどうかという点について、法廷意見のように考えるのか、大谷裁判官のように考えるのかは今後さらに議論がなされるのではないでしょうか。

 また、法定監督義務者に準ずべき立場にあるかどうかの判断基準として、法廷意見のように考えると、介護に熱心な親族は監督義務を負わされ、そうでない者はこれを負わないということになりかねず、解釈として妥当なものかという疑問はあります。実際に介護に熱心な親族であったとしても、本件のような場合にまでその責任を引き受けることを意識した上で、介護をしているということはいえないでしょう。今後さらに議論されるべき問題ではないでしょうか。

 

《最高裁が法定の監督義務者またはこれに準ずべき者に該当しないとした理由》

平成11年改正前の保護者に認められていた精神保健福祉法の221項の精神障害者に対する自傷他害防止監督義務は同年廃止され、後見人の禁治産者に対する療養看護義務も同年の民法改正で成年後見人がその事務を行うに当たっては成年被後見人の心身の状態及び生活の状況に配慮しなければならない旨のいわゆる身上配慮義務に改められ、同義務は、成年後見人の権限等に照らすと、成年後見人が契約等の法律行為を行う際に成年被後見人の身上について配慮すべきことを求めるものであって、成年後見人に対し事実行為として成年被後見人の現実の介護を行うことや成年被後見人の行動を監督することを求めるものと解することはできない。そうすると、本件事故のあった平成19年当時、保護者や成年後見人であることだけでは直ちに法定の監督義務者に該当するということはできない。

 また、民法752条の夫婦の同居,協力及び扶助の義務は、相互に相手方に対して負うもので第三者との関係で何らかの義務を課すものではなく、第三者との関係で相手方を監督する義務を基礎づけることはできない。

 他に夫婦の一方が相手方の法定の監督義務者であるとする実定法上の根拠は見当たらず、したがって、精神障害者と同居する配偶者であるからといって、その者が民法7141項にいう「責任無能力者を監督する法定の義務を負う者」に当たるとすることはできない。

 さらに、「法定の監督義務者に該当しない者であっても、責任無能力者との身分関係や日常生活における接触状況に照らし、第三者に対する加害行為の防止に向けてその者が当該責任無能力者の監督を現に行いその態様が単なる事実上の監督を超えているなどその監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情が認められる場合には、衡平の見地から法定の監督義務を負う者と同視してその者に対し民法714条に基づく損害賠償責任を問うことができるとするのが相当であり、このような者については、法定の監督義務者に準ずべき者として、同条1項が類推適用されると解すべきである。」との前提を述べた上で、夫は、平成12年頃に認知症のり患をうかがわせる症状を示し、平成14年にはアルツハイマー型認知症にり患していたと診断され、平成16年頃には見当識障害や記憶障害の症状を示し、平成192月には要介護区分状態のうち要介護4の認定を受けた者であるが、妻は、長年夫と同居していた配偶者であり夫の介護に当たっていた者であるが、本件事故当時85歳で左右下肢に麻ひ拘縮があり要介護1の認定を受けており、夫の介護も長男の妻の補助を受けて行っていたもので、妻は、夫の第三者に対する加害行為を防止するために夫を監督することが現実的に可能な状況にあったということはできず、その監督義務を引き受けていたとみるべき特段の事情があったとはいえない、として、妻について、精神障害者である夫の法定の監督義務者に準ずべき者に当たるともいえない、とした。

 なお、長男についても、同様に、監督義務者に準ずべき者に当たらないとした。

                         以 上